オープンしてからが本番~ゴールの無いマラソン~
オープンしてからが本番。何を当たり前なことを言ってるんだとお思いでしょうが、実際に飲食店をゼロから立ち上げて開業したことがある人にはわかってもらえると思います。
どんなお店だって必ず経験する開業前の準備。開業の資金集め、どんなお店にするか企画書を書いてコンセプトを決めて、それを基にインテリアをどうしようかとか、看板は?メインのメニューは?宣伝は?仕入先は?やらなきゃいけない事は山積みです。
それを予算に合わせてどんどん決断し、実行しオープンの日に間に合わせるのです。もちろん最初は人なんて雇えるわけないから、もちろん全て1人でやることになります。なので当たり前のようにオープン当日はもはや燃え尽き症候群、力なんて残ってないww
知っていれば簡単に出来ることも無駄に走り回っているのだから無理もない。この時はまだ分かっていないことすら分かっていなかった。経営者の無知は自分の首をこれでもかってくらい締め付ける。
でもここからが本番。開業とはつまり終わらせてはいけないゴールの無いマラソンなのです。しかしそれは同時に自分の夢を叶えるため、自分のやりたい事で生活していくための第一歩目でもあります。
上の写真はオープン当日のパンのラインナップ。現在のカロスキル店の商品ラインナップと比べるとドえらい違いですねww
上の写真は現在のカロスキル店
この時はまだパンもケーキも販売も1人でやっていたのでこれが当時の限界でした。オープンしてから暫くはまずご近所さんに日本のパンの味を判って頂くために何でも3個で5,000ウォンで販売して、色々まず食べて頂こうと思っていました。
2008年当時、韓国人のお客様の反応はパンなのに値段が高い!という意見が大半で、韓国人は基本白いご飯を食べて1回の食事とみなすという感覚を持っている人が多く(2018年の現在の若者はもうそうではない人も多いが)パンはあくまで間食。
しかも当時は韓国から町の個人経営のパン屋さんが大手フランチャイズの価格競争について行けず閉店に追いこまれる状況で、フランチャイズのパン屋では800ウォン、1,000ウォンというパンが中心。そこに1個2,000ウォンの日本のパンが入り込んできたので当たり前の反応だともとれる。
しかし、オープン前に何度も色々なパン屋を市場調査した結果、味では大きく上回っている自信があったし、何より日本人が日本のパンを直接作って直接販売しているお店なんて2008年当時はどこにもないんだから勝って当然!差別化はバッチリできていた。(実は同時期にホンデにミルカレってお店もあった事をのちに知るw)
1度食べてもらえれば必ず分かってもらえる。そんな自信を胸に毎日毎日パンを焼き続けた。
2008年11月、1日の平均売上は10万ウォン(約1万円)くらいしか行かず、最低は7万ウォンって日もあった。店舗の中で生活していたので最悪でも家賃と材料費、光熱費さえ払えれば、余ったパンを食べていれば生活はできるしくみになっていたので毎日不安というよりは、いつか必ずわかってもらえるという自信しか僕にはなかった。
12月、1日平均が20万ウォンにあがり徐々にリピーターも増えてきて、お昼のピーク時だけ販売のアルバイトも雇えるようになった。そして独立してからの初めてのクリスマス、遂に1日売上70万ウォンをたたき出した!
2009年1月、ここでやっと少し休めた。お正月に日本に一時帰国したのだ。1日から4日までお正月休み。開業したらゴールの無いマラソンではあるが自己責任において休むことも出来る。自分で作った初めての自分のための休暇。
休暇から帰ってくると韓国はもうとっくに動き始めていた。韓国では旧正月がメインで1月1日しか休日ではないのだ。しかし寒い、人通りの多い立地ではないため店前を通る人が一気に減少し1日平均15万ウォンくらいに落ちてしまった。
2月、韓国の冬は想像以上に寒くオンドルをつけていても室温が1度にしかならない。なぜならばここは店舗物件で人が住むようには設計されておらず、至る所から隙間風が入り込み大家があの時言っていた事を理解した。これはホントに死ぬやつだw早く春がこないかなぁ~
そしてこの春の訪れがTokyoPanyaの激動の時代の幕開けとなった。
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